読書をしよう
私は中学の頃何をしていたのだろう。ふとそんな思いが脳裏を過ぎった。勿論、思い出そうとすればそれなりに思い出すことはできる。例えばバドミントン部に所属していたのだ。唯一運動部に所属していた輝かしい過去である。ところがそれ以外となるとどうも判然としない部分が多い。どうでもいい話は次々に思い出せるのだが、「これが我が中学時代だ」というものに思い当たらない。
思えば中学の3年間は考えるということに目覚めた期間であった。中学の先生たちは誰も彼も教科書の枠を越えて様々なことを教え、考えさせてくれた。特に国語教師の印象が残っている。その人は「教科書なんかつまらないから」ということでクラスに選ばせ、夏目漱石の「坊っちゃん」を題材に授業をしてくれた。
考える事を学んだ多くの人間は過去の人々がどう考えどう悩みどう表現したかを学ぼうとする。これがいわゆる文学少年への道のりなのだろう。
思えば中学の3年間は考えるということに目覚めた期間であった。中学の先生たちは誰も彼も教科書の枠を越えて様々なことを教え、考えさせてくれた。特に国語教師の印象が残っている。その人は「教科書なんかつまらないから」ということでクラスに選ばせ、夏目漱石の「坊っちゃん」を題材に授業をしてくれた。
考える事を学んだ多くの人間は過去の人々がどう考えどう悩みどう表現したかを学ぼうとする。これがいわゆる文学少年への道のりなのだろう。
2004/08/14 Sat 21:34 | - | -