自分の音楽観
かつて問われた事があった。普段聞いてるのがメタルばっかりなのに、なぜ全然違う「大樹&LittleWings」をこんなにも気に入ったのかと。
そして自分が聞く音楽は2つに大別されるのだと思い当たったのだった。
そして自分が聞く音楽は2つに大別されるのだと思い当たったのだった。
かつて問われた事があった。普段聞いてるのがメタルばっかりなのに、なぜ全然違う「大樹&LittleWings」をこんなにも気に入ったのかと。
そして自分が聞く音楽は2つに大別されるのだと思い当たったのだった。
そのひとつがメタル。私が聞くものはメタルの中でもメロディックだとかシンフォニックだとかハイスピードだとかいう形容詞がついているものがほとんどである。いわゆるデスメタルといわれるものはあまり聞かない。
メタルに求めているのは「体を突き動かすサウンド」である事が多い。メタルの前にはまっていたのがユーロビートというちょっと恥ずかしい事実を考えるとこれは概ね間違ってはいないと思う。要は「体を突き動かすサウンド」の代表としてのメタルなわけだ。メタルによって体のほうに活力を与えるのだ。毎朝、家を出た瞬間にメタルを聞き始めればどれほど眠くても1時間足らずの通勤時間の終わりには体は目覚めるのである。どれほど体がくたばりかけていても無理矢理叩き起こすための力強いサウンド、それが自分にとってのメタルなのだ。
そのため、精神状態によってはどれほど派手なメタルサウンドを耳にしていても心は平静を保っているという状況も有り得るのだ。体は力漲っているにもかかわらず心はとても落ち着いている。なかなかに悪くない状態に持っていけるのだ。
メタルというものは知らない人にはドラムがドコドコとうるさい騒音に近いようなものに思えるかもしれない。だが例えば私がこよなく愛するRhapsodyなどはクラッシックのような曲調もあればシンフォニックなところも民族音楽の要素も見受けられる。ヴォーカルからしてそもそもオペラみたいに歌い上げるのだ。そういう音であるからこそ心は静め体を起こす事ができるのだ。
「大樹&LittleWings」の音はそれとは逆に心を動かすためのものだ。どれほど精神的に参っていても聞いて口ずさんでいるうちに心に活力を与えてくれるのだ。自身を生来のロクデナシと思っているようなひねくれた自分にさえ、人間らしい心を与えてくれるのだ。
長い間、心が求めるサウンドというものがよく分からなかった。高校あたりからどんな音楽を聞いてもピンとこなかった。ただ体を動かすものだけは多少なりとも分かったのでそれだけを求めつづけてきた。
メタルは音楽的背景があるのかどうか知らないが、感情を表現するとすれば「哀しみ」という要素が強く見受けられるように思う。あるいは「怒り」。そこに喜びや楽しみはほとんどない。あってもせいぜいが「勝利」くらいだ。
喜びや楽しみを感じる音。それが今までの自分に欠けていたものなのだろう。27にもなってようやくではあるけれど、そんな当たり前の、そしてとても大事な事に気付くのだった。
そして自分が聞く音楽は2つに大別されるのだと思い当たったのだった。
そのひとつがメタル。私が聞くものはメタルの中でもメロディックだとかシンフォニックだとかハイスピードだとかいう形容詞がついているものがほとんどである。いわゆるデスメタルといわれるものはあまり聞かない。
メタルに求めているのは「体を突き動かすサウンド」である事が多い。メタルの前にはまっていたのがユーロビートというちょっと恥ずかしい事実を考えるとこれは概ね間違ってはいないと思う。要は「体を突き動かすサウンド」の代表としてのメタルなわけだ。メタルによって体のほうに活力を与えるのだ。毎朝、家を出た瞬間にメタルを聞き始めればどれほど眠くても1時間足らずの通勤時間の終わりには体は目覚めるのである。どれほど体がくたばりかけていても無理矢理叩き起こすための力強いサウンド、それが自分にとってのメタルなのだ。
そのため、精神状態によってはどれほど派手なメタルサウンドを耳にしていても心は平静を保っているという状況も有り得るのだ。体は力漲っているにもかかわらず心はとても落ち着いている。なかなかに悪くない状態に持っていけるのだ。
メタルというものは知らない人にはドラムがドコドコとうるさい騒音に近いようなものに思えるかもしれない。だが例えば私がこよなく愛するRhapsodyなどはクラッシックのような曲調もあればシンフォニックなところも民族音楽の要素も見受けられる。ヴォーカルからしてそもそもオペラみたいに歌い上げるのだ。そういう音であるからこそ心は静め体を起こす事ができるのだ。
「大樹&LittleWings」の音はそれとは逆に心を動かすためのものだ。どれほど精神的に参っていても聞いて口ずさんでいるうちに心に活力を与えてくれるのだ。自身を生来のロクデナシと思っているようなひねくれた自分にさえ、人間らしい心を与えてくれるのだ。
長い間、心が求めるサウンドというものがよく分からなかった。高校あたりからどんな音楽を聞いてもピンとこなかった。ただ体を動かすものだけは多少なりとも分かったのでそれだけを求めつづけてきた。
メタルは音楽的背景があるのかどうか知らないが、感情を表現するとすれば「哀しみ」という要素が強く見受けられるように思う。あるいは「怒り」。そこに喜びや楽しみはほとんどない。あってもせいぜいが「勝利」くらいだ。
喜びや楽しみを感じる音。それが今までの自分に欠けていたものなのだろう。27にもなってようやくではあるけれど、そんな当たり前の、そしてとても大事な事に気付くのだった。
2004/08/15 Sun 10:50 | - | -