引越奇譚
※以下の文章はあくまでもフィクションです。フィクションなんですってば。そこんとこひとつお願いしますよ。あーはいはいフィクションねーくらいで。
このところ色々とあって全然全く完全にこのサイトから消息を絶つことはや数カ月。気が付けば2007年の夏も終わろうとしている。この夏ときたら殺人的な暑さで、熱帯夜な日々を文字どおり死にそうだと思いながら寝て死ぬのもアレなので、文明の利器エアコン様の恩恵に預かって日々を過ごしているのだった。
このところ色々とあって全然全く完全にこのサイトから消息を絶つことはや数カ月。気が付けば2007年の夏も終わろうとしている。この夏ときたら殺人的な暑さで、熱帯夜な日々を文字どおり死にそうだと思いながら寝て死ぬのもアレなので、文明の利器エアコン様の恩恵に預かって日々を過ごしているのだった。
さて、そんなこの夏だが、実は引っ越しをした。まあ引っ越しと言っても元の棲み家であるところの謎の四畳半は文明人が生息しているのかと疑われるほどに生活的物質(いわゆる冷蔵庫、洗濯機、テレビという各種神器)に乏しく、あったものといえば寒い冬を自堕落に過ごす炬燵様と我が家のエンターテイメントを一手に引き受けるパソコン様くらい。であるからして、新たなる部屋では冷蔵庫様を筆頭に各種家電様を新たにお招きすることとなる。ついでに言えば新たな部屋では炬燵様は利用しない(置く場所がない)し、パソコン様もコンパクトになったデスクトップパソコン様等を連れて行くので、以前使っていたタワーの残骸等は処分対象となる。引っ越しに際して持って行くものといえばパソコン、CD、漫画等の書籍類、カメラ及び写真関係、衣類くらい。衣類ったって部屋で頻繁に洗濯できるんなら大量の下着類等はいらんわけだし、よくよく考えてみればもう着ない服なんかもわりとある気がする。んなわけでいざ見てみると、丸々人一人生活しているかのような、処分すべき者共がいたりするのだった。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
まあそう言った現実とは別に引っ越しはせねばならん。幸いにも(というか自ら選択したのだが)引っ越し先は引っ越し元から徒歩10分という近所であるからして、引っ越し作業は須く人力(無論自分)で運ぶこととした。
引っ越し開始は八月一日。引っ越し締切(前の部屋の退出期限)は八月三十一日である。かくして、この苛酷な猛暑の中、私の引っ越し月間は始まったのだった。
で。
なんのかんのと出だしは順調にモノを運びつつ、予想どおりというか途中で仕事がハードになってペースが落ち、これではいかんと仕事でヒイヒイ言う中どうにかこうにか運ぶべきものは運び切った、というのが二十日も過ぎたあたり。今度の引っ越しは、運び出す際にいらない物といる物を選別しつつ、新たな部屋では入手したての棚に運んだ物を格納していくという方式を採用した。そのため、いる物が目立つ状況では運び出しは早いのだが、微妙な物が増えてくると途端にその足が鈍くなる。そうして計画はずるりと遅れていくのだった。
とかなんとか他人事みたく言っていられるのなら幸せなのだが、これがまたそういう訳にも行かない。なにせ、いらないものは処分せねばならないし、退去期限は決まっているのだ。おまけに仕事も日々苛酷でしかもこの暑さとくれば体力確保も重要なタスクとなる。ついでという訳でもないが、新しい部屋に必要なものを買い求めるということも、こなさなくてはならないタスクとなる。例えばカーテンがなければ新居は灼熱地獄と化すであろうし、棚や収納ボックスがなければ運んだ物の整理もままならない。
そういう諸々の事情の末、気が付けば退去期限が間近になったにも関わらず、退去すべき空間には処分を待つ品々が軒を連ねていたのだった。まああくまでフィクションだが。
で、そのフィクションの部屋のフィクションの塵芥を見て頭を抱えたフィクションの私は、フィクションにおける有耶無耶装置、市井の便利屋なるものにとりあえず相談を持ちかけてみた。なにせこれらを処分するには、どう足掻いてもマンパワーが足りんのだ。いっそこのあたりで一千万パワーのバッファローマンくらいの助力を仰ぎたいところではあるが、いかんせんいくらフィクションとは言え便利屋等が関の山なのである。
便利屋に時間がないというたところ、随分と早くに見積もりに来てくれるとのこと。早いことはありがたい。そんなわけで依頼した翌々日には、便利屋と私が、塵芥を目の前にして話をしておったのだった。
「これですか。」
「これなのだ。」
「これはまた…ありますねぇ…」
そんなことはわかっておる。その「ありますねぇ」が無くならんからこうして呼んでおるのではないか。
「えーと…これだと大体…○△□円くらいですかねぇ。」
一番最初の見積もりを聞いた瞬間、漫画だったら鼻血が出ておったことであろう。いくらフィクションとは言え驚くべき数字だ。その後様々な交渉等を経て、どうにか折り合いをつけて、その次の日には全て運び出してもらう算段となった。まあ折り合いがついたと言っても相変わらずフィクションだと思い込みたい…もとい、フィクション金額であったわけだったのだが。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
何度も言わんでもわかっとるわいと自分で言いたくもなるが、分かっていないからこうなった訳であり、そこに弁解の余地は無い。まあ恨むべきはフィクションの中の、かつての己である。
そして運命の日。あの鼻血が出そうな金額を提示しよった便利屋が全てのモノを運び出す日である。幸いなことに当日の立ち会いは必要ないとのことで、私はのうのうと仕事に出ておった。すると午後になって便利屋から連絡があった。
「今から運び出します。」
うむ、よしなに。
そこから暫くしてのこと。
「もしもし、便利屋ですが」
うむ、何用じゃ。
「実は…車に乗りません。」
おい。
お前はそれでもプロかと。いみじくもプロならば、己がよしと言った条件を満たして然るべきだろう。それをどの面下げて「入りません」だコノヤロウ。
と思ってはみたものの、言うてもしょうがない。電話の向こうで言っている「本来だったら○○円コースですよコレ」というセリフに対する非は何れにあるのだろうかという疑問も無い訳ではないが、ここで争っても目的は達成されそうにない。我ながら随分と丸くなったことよなぁ、と懐古をはさみつつ、問うてみた。
「それでどうすればいいんですか。」
「雑誌を省けばどうにか…」
思わず溜め息を漏らしそうになったが、ぐっと堪えて返答する。
「ではそのようにしてください。」
これで、雑誌類の処分作業は己の担当となってしまったのだ。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
もう本当に、この駄目人間に言いきかせるより他ない。結局のところこれは、ものぐさの尻拭いなのだ。究極的な原因は己にある。如何に仕事の見積もりもできない駄目便利屋が相手だろうが、そもそも、元を正せば、根幹は己の駄目さ加減ゆえなのである。
八月二十九日。退去期限まで、あと三日なのであった。
結局二十九、三十、三十一日と、仕事を終えてから、残りのものを運ぶなり捨てるなり部屋を拭くなりと夜な夜な作業を繰り返し、どうにかこうにか部屋を空け渡せる状態にしたのであった。
九月に入り、比較的落ち着いて仕事が終わってからの時間を過ごしている。しかしまだ負債は若干あり、私としては負債の雑誌を資源ゴミとして処分することが今週の大きな課題なのだった。
広くて快適な新居への道程は、遠い。
…あくまでフィクションなんだけどね。うん。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
まあそう言った現実とは別に引っ越しはせねばならん。幸いにも(というか自ら選択したのだが)引っ越し先は引っ越し元から徒歩10分という近所であるからして、引っ越し作業は須く人力(無論自分)で運ぶこととした。
引っ越し開始は八月一日。引っ越し締切(前の部屋の退出期限)は八月三十一日である。かくして、この苛酷な猛暑の中、私の引っ越し月間は始まったのだった。
で。
なんのかんのと出だしは順調にモノを運びつつ、予想どおりというか途中で仕事がハードになってペースが落ち、これではいかんと仕事でヒイヒイ言う中どうにかこうにか運ぶべきものは運び切った、というのが二十日も過ぎたあたり。今度の引っ越しは、運び出す際にいらない物といる物を選別しつつ、新たな部屋では入手したての棚に運んだ物を格納していくという方式を採用した。そのため、いる物が目立つ状況では運び出しは早いのだが、微妙な物が増えてくると途端にその足が鈍くなる。そうして計画はずるりと遅れていくのだった。
とかなんとか他人事みたく言っていられるのなら幸せなのだが、これがまたそういう訳にも行かない。なにせ、いらないものは処分せねばならないし、退去期限は決まっているのだ。おまけに仕事も日々苛酷でしかもこの暑さとくれば体力確保も重要なタスクとなる。ついでという訳でもないが、新しい部屋に必要なものを買い求めるということも、こなさなくてはならないタスクとなる。例えばカーテンがなければ新居は灼熱地獄と化すであろうし、棚や収納ボックスがなければ運んだ物の整理もままならない。
そういう諸々の事情の末、気が付けば退去期限が間近になったにも関わらず、退去すべき空間には処分を待つ品々が軒を連ねていたのだった。まああくまでフィクションだが。
で、そのフィクションの部屋のフィクションの塵芥を見て頭を抱えたフィクションの私は、フィクションにおける有耶無耶装置、市井の便利屋なるものにとりあえず相談を持ちかけてみた。なにせこれらを処分するには、どう足掻いてもマンパワーが足りんのだ。いっそこのあたりで一千万パワーのバッファローマンくらいの助力を仰ぎたいところではあるが、いかんせんいくらフィクションとは言え便利屋等が関の山なのである。
便利屋に時間がないというたところ、随分と早くに見積もりに来てくれるとのこと。早いことはありがたい。そんなわけで依頼した翌々日には、便利屋と私が、塵芥を目の前にして話をしておったのだった。
「これですか。」
「これなのだ。」
「これはまた…ありますねぇ…」
そんなことはわかっておる。その「ありますねぇ」が無くならんからこうして呼んでおるのではないか。
「えーと…これだと大体…○△□円くらいですかねぇ。」
一番最初の見積もりを聞いた瞬間、漫画だったら鼻血が出ておったことであろう。いくらフィクションとは言え驚くべき数字だ。その後様々な交渉等を経て、どうにか折り合いをつけて、その次の日には全て運び出してもらう算段となった。まあ折り合いがついたと言っても相変わらずフィクションだと思い込みたい…もとい、フィクション金額であったわけだったのだが。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
何度も言わんでもわかっとるわいと自分で言いたくもなるが、分かっていないからこうなった訳であり、そこに弁解の余地は無い。まあ恨むべきはフィクションの中の、かつての己である。
そして運命の日。あの鼻血が出そうな金額を提示しよった便利屋が全てのモノを運び出す日である。幸いなことに当日の立ち会いは必要ないとのことで、私はのうのうと仕事に出ておった。すると午後になって便利屋から連絡があった。
「今から運び出します。」
うむ、よしなに。
そこから暫くしてのこと。
「もしもし、便利屋ですが」
うむ、何用じゃ。
「実は…車に乗りません。」
おい。
お前はそれでもプロかと。いみじくもプロならば、己がよしと言った条件を満たして然るべきだろう。それをどの面下げて「入りません」だコノヤロウ。
と思ってはみたものの、言うてもしょうがない。電話の向こうで言っている「本来だったら○○円コースですよコレ」というセリフに対する非は何れにあるのだろうかという疑問も無い訳ではないが、ここで争っても目的は達成されそうにない。我ながら随分と丸くなったことよなぁ、と懐古をはさみつつ、問うてみた。
「それでどうすればいいんですか。」
「雑誌を省けばどうにか…」
思わず溜め息を漏らしそうになったが、ぐっと堪えて返答する。
「ではそのようにしてください。」
これで、雑誌類の処分作業は己の担当となってしまったのだ。
教訓:ものぐさはツケとなって返ってくる。
もう本当に、この駄目人間に言いきかせるより他ない。結局のところこれは、ものぐさの尻拭いなのだ。究極的な原因は己にある。如何に仕事の見積もりもできない駄目便利屋が相手だろうが、そもそも、元を正せば、根幹は己の駄目さ加減ゆえなのである。
八月二十九日。退去期限まで、あと三日なのであった。
結局二十九、三十、三十一日と、仕事を終えてから、残りのものを運ぶなり捨てるなり部屋を拭くなりと夜な夜な作業を繰り返し、どうにかこうにか部屋を空け渡せる状態にしたのであった。
九月に入り、比較的落ち着いて仕事が終わってからの時間を過ごしている。しかしまだ負債は若干あり、私としては負債の雑誌を資源ゴミとして処分することが今週の大きな課題なのだった。
広くて快適な新居への道程は、遠い。
…あくまでフィクションなんだけどね。うん。
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