構図について考える
新聞も取っていないものですから、テレビの番組表が見たくなったときにはインターネットTVガイドを専ら利用しています。このページに、最近「どちらがいい構図だと思いますか」というのが載ってるんですよ(元はタレント・テストというところのようです)。似たような2枚の絵があって、ちょっと構図が違うんですね。んでどちらがいいかと。
#以下続きを読まれる前にご自分でどちらか選んでみられるとよりいいかと思います。
#以下続きを読まれる前にご自分でどちらか選んでみられるとよりいいかと思います。
で、私は右を選んだんですね。まあ選んだ理由は後述します。
このテストにおける、出題者側での正解は左側の絵だそうです。左の絵の解説を引用すると
ということです。まあ写真でも絵画でも構図というものに関してある程度同じ事が当てはめられるので、この構図を解説しろといわれれば同じような事を口にする事は私にもできます。人物の前に空間を作るというのは私自身よく言われたことですし、(僭越ながら)人様に同じような話をさせていただいた事もあります。
ですが、私はそれを踏まえた上で敢えて右側の方がいい絵だと思いました。まず先に出題者側の、右側の絵に対する解説を引用しておきます。
これを読んで納得される方もいらっしゃるでしょう。もちろん、書いてあることは先ほどの裏返しで道理として納得できるものでもあると思います。しかし、それでも敢えて私はこの、駄目だと言われた方の絵を推したいと思います。何故か。
この構図のほうが、絵として奥ゆきに溢れているからです。絵の中の物語性が高いからです。
まず、奥の柱を落とした事で構図が整理され、見る人の目を人物に惹きつけることができます。そして画面上での配置ですが、人物の顔がこちら側を向いているので、体全面が多少狭くてもそれほど問題ではないと私は捉えます。そして、ここが私が一番重要視しているポイントですが、人物の右側が大きく開いた事でそこに誰か在るかのような物語性を感じさせる事ができるのです。この絵に『黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ』というタイトルではなく、例えば『傍にいない人』なんていう感じのタイトルをつければ、みる人に感じさせる物語性は全然変わってきます。
私は写真も絵も、ひとつの作品として求めています。だからこそ、その中に広がりがあるほうを求めているのでしょう。
もちろん捉え方は人それぞれですし、多くの人にとって好まれるものもあるでしょう。そういう意味では私の選択は間違っているのかもしれません。けどまぁ、ひとつくらい間違ってても拘ってたって良いじゃないですか。正しかろうが間違ってようが、拘るからこそ分かる事もあるかなと思うのです。
このテストにおける、出題者側での正解は左側の絵だそうです。左の絵の解説を引用すると
この絵こそ、本物のアメデオ・モディリアーニ作
『黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ』です。
「どちらがよい構図の絵か?」といえば、もちろん、こちらの作品です。
画面左端にのぞく暗い壁によって、より奥行のある空間が感じられます。
また、左向きに座った人物の前方にも適度な空間があり、たいへんバランスの良い安定した構図になっています。
ということです。まあ写真でも絵画でも構図というものに関してある程度同じ事が当てはめられるので、この構図を解説しろといわれれば同じような事を口にする事は私にもできます。人物の前に空間を作るというのは私自身よく言われたことですし、(僭越ながら)人様に同じような話をさせていただいた事もあります。
ですが、私はそれを踏まえた上で敢えて右側の方がいい絵だと思いました。まず先に出題者側の、右側の絵に対する解説を引用しておきます。
この絵は、アメデオ・モディリアーニ作
『黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ』をCG処理して構図を変えたものです。
「どちらがよい構図の絵か?」といえば、残念ながらこちらの絵ではありません。
背景の壁も一面だけで奥行に乏しく、人物も左に寄っていてきゅうくつな配置になり、全体的にバランスの悪い構図になっています。
これを読んで納得される方もいらっしゃるでしょう。もちろん、書いてあることは先ほどの裏返しで道理として納得できるものでもあると思います。しかし、それでも敢えて私はこの、駄目だと言われた方の絵を推したいと思います。何故か。
この構図のほうが、絵として奥ゆきに溢れているからです。絵の中の物語性が高いからです。
まず、奥の柱を落とした事で構図が整理され、見る人の目を人物に惹きつけることができます。そして画面上での配置ですが、人物の顔がこちら側を向いているので、体全面が多少狭くてもそれほど問題ではないと私は捉えます。そして、ここが私が一番重要視しているポイントですが、人物の右側が大きく開いた事でそこに誰か在るかのような物語性を感じさせる事ができるのです。この絵に『黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ』というタイトルではなく、例えば『傍にいない人』なんていう感じのタイトルをつければ、みる人に感じさせる物語性は全然変わってきます。
私は写真も絵も、ひとつの作品として求めています。だからこそ、その中に広がりがあるほうを求めているのでしょう。
もちろん捉え方は人それぞれですし、多くの人にとって好まれるものもあるでしょう。そういう意味では私の選択は間違っているのかもしれません。けどまぁ、ひとつくらい間違ってても拘ってたって良いじゃないですか。正しかろうが間違ってようが、拘るからこそ分かる事もあるかなと思うのです。
2004/10/31 Sun 19:56 | - | -