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■108 汝の隣人を愛せよ 2006/02/26

 悲しいことに人は全てに限りない愛を注げる訳ではない。かといって隣人誰をも愛することができないというような人にも出会ったことがない。とすればこういってしまっては寂しいものだが、ひと一人が愛することができる人数には限りがあるのではないだろうか。

 「汝の隣人を愛せよ」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。しかし「隣人の隣人」「隣人の隣人の隣人」と再帰的に繰り返すと、このまま人類六十億人を愛さねば、いやいや果ては犬さん猫さん象さんキリンさんライオンさんイルカさんクジラさんペンギンさんといった各種動物に飽き足らず、クワガタさんバッタさんトンボさんゴキブリさんといった虫の方々やら松さん杉さん桧さん薔薇さんチューリップさんヒマワリさん彼岸花さんといった植物の方々、結果としては地球さんやら宇宙さんまでどーんと愛していかねばならないのである。これは冷静に考えて常軌を逸していると言わざるを得ない。

 「何を言っているんだ、私は地球を愛しているぞ」と仰る方もいることであろう。その心意気は尊敬に値する。真実そうは思うがしかしその方よ、貴方は真にその地球上にある全ての生命・事象を知り、それらに思いを馳せ、それら全てと向かい合った上で「愛している」と言うのであろうか。

 かつて人類にとって、活動範囲というものは決して広大なものではなかった。例えば東京に住んでいるものが、他府県ましてや諸外国のことなど知る術もなかった。
 思い出してほしい。幼稚園生の貴方、小学生の貴方にとって世界はどれほどの規模であったか。今ほどの情報ルートもなく、交通手段もほとんど利用することの無かったあのころの自分にとって、世界はどれくらいの広さだったろうか。

 現代という時代、我々のもとには隣県どころか世界中の、それどころか宇宙のことですら情報として簡単に入手できてしまう。移動だってそうだ。隣県なんて電車で数時間、国外だって飛行機であっという間だ。

 私が言いたいのは人にはそれにふさわしい広さの世界というものがあっていいんじゃないかということだ。六十億の人間が、その全てが各々を認識しなくてはならいような生き方は必要ないんじゃないか、ということだ。

 世界はすごく広く、ひと一人で知る必要はない。六十億人を知らなきゃと思うよりは百人の隣人を愛する方がとても現実的で豊かな生き方じゃないかと思う。一人また一人と周りの人を愛し、ハッピーでいることが、結果として世界の幸福につながるんじゃないかなと思う。生物としてキャパを越えたことをしようとしても、結局は破綻するのがオチだろう。

 そろそろ人類はそういう生き方を思い出してもいいんじゃないかと思う。皆が皆、世界の人々に思いを馳せながら生きる。そんな幻想に縛られる必要はないのではなかろうか。

 そりゃまあ全てを愛して生きることができればそれはもうそれに越したことはない。それは実に尊ぶべきことである。だからといってそれを全ての人に強要する必要はない。まず第一歩として「隣人を愛せよ」と。大事なことは案外昔から変わらないものの筈なのだ。



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