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■106 挨拶考 2005/04/08

 先日、退社時にエレベーター付近で同僚I氏に出会ったのです。I氏とはくだらないジョークを飛ばしあう仲で、気心も知れたものでありますがそのI氏、去り際に「さよなら。」と言い放ちやがりまして。

 「さよなら」。
 なんでしょうか、この寂寥感たっぷりの言葉は。ただの別れ際の挨拶であるはずの「さよなら」は、いつしかその意味を変容しているのではないでしょうか。私はそういう危惧を抱くにいたったわけであります。


 「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」という出会いの三大挨拶に対して「さようなら」というのはとてもまともな別れの挨拶であったはずであります。しかし、いつの日からか仕事場などでは「お疲れでした」近しい人には「じゃあねー」「ばいばい」「おつかれー」などで軽い意味での挨拶に依存してしまっている我々が存在するのです。面倒なので、私がそう思うことは皆がそう思うという酷いくらいの拡大解釈で話を進めます。考えてみれば出会いの挨拶も「ういーす」「ちわーす」「オイーっす」「次いってみよー」と砕けに砕けております。もうベコンベコンに朽ちております。出会いもそうなのです。別れも朽ちて当然でありましょう。今更「御機嫌よう」などとかしこまった挨拶は創作の中だけで十分です。そんな言葉は「お姉様」などと一緒に使われて生き延びてください。

 言語は絶えず変遷を重ねるものです。言葉はいつしか移ろい、駆逐され、新たに生まれ、そうして緩やかに世代を重ねていくものです。今更「チョベリバ」などと、うわぁ、書いてるだけで虫唾が走っちゃったよ、的な言葉を弄するものももういないでしょう。一方で、その姿、その内容を変えつつも生き残る言葉もやはりあるのです。それが「さよなら」の今の姿ではないでしょうか。

 今や「さよなら」には発した相手との軽度ではない別れという意味合いが含まれています。何せ「さよなら」です。こやつは現代日本において、男女間の別れ話において最も登場しておる始末です。しかもこの言葉は大抵女性側から発せられるものです。浴びせられるのは大概うだつの上がらない、さえない男です。えぐっ、えぐっ。

 そんな「さよなら」は、寂寥感を与えながら、今日も美しい日本語としてその責務を全うしているのです。延々とくだらないことを書いてしまったせいで主題があやふやになっているかもしれませんので、最後にこの言葉を書き記しておきます。ひとりでえぐえぐ泣き濡れるのも寂しいですので、皆さんにもこの寂しさをおすそ分けです。では。


 さよなら。



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